「唐版 風の又三郎」観劇
2019-03-11


「唐版 風の又三郎」を大阪 森ノ宮ピロティホールで観た。

1974年初演。唐十郎の最高傑作とも、アングラの伝説とも呼ばれる芝居だ。2019年の今、窪田正孝、柚希礼音のW主演で、当然ながら客席は女性ファンで満員御礼。しかし、僕の右側5席は空いたままだ。1ベルが鳴る直前、母親と小学4年生、そして小学1年生ぐらいの男の子兄弟の3人連れがやってきた。僕の右側2席を空けて、その先に座る。子どもたちは地元らしきサッカークラブ名が背中に描かれたウインドブレーカーを着て、おそろいのリュックサックを背負っている。土曜の午後、サッカーの練習の後に駆けつけたのかもしれない。しかし、この難解そうで、奇怪そうなアングラ芝居は小学生が観ても面白いのだろうか。

芝居が始まると案の定、特に弟がおとなしく座っていられず、もぞもぞ動き出す。それはそうだろう。大人にとってはファンタジーでも、子どもにすれば夢でうなされそうなシーンが続く。強烈な照明と突然鳴り響く音楽・効果音。白塗りや原色のメイク。人肉を喰らい、飛び散る血糊。棺桶を担いだ葬列。ニワトリの首はへし折られる。黒ずくめの男、軍服姿、ふんどし姿の役者が駆け回る。それでも母親が周囲を気遣い、静かに短く、優しげに子どもに声をかけ注意しているようだ。観劇の妨げになることはない。

嗚呼、もしも演劇の神様が今この劇場におられるなら、僕は祈る。子どもにとって恐ろしげなこの芝居の中で、たった一つでいい、「ふんどしおじさんおもしろかったね」でもいい、良き印象や思い出が残りますように、と。「お芝居って面白いね。また観たいね」と思ってもらえるように。そして、次の時代にもアングラが継承されるように。

一幕が終わり、休憩時間。やがて二幕が始まる。二幕の終盤、母親が小さな声で子どもに何か聞いているようだ。三幕が始まる時には、さもありなん、その親子の姿も荷物も消えていた。僕の右隣は5席分空いたままになった。

しかし、あの子どもたちは、なぜこの芝居に連れてこられたのだろう。母親が宝塚ファンで柚希礼音目当てか、それとも窪田正孝目当てか。あるいは出演者の親類縁者なのだろうか。と、考えてふと思った。あの子たちは、学校の学習発表会か何かで宮沢賢治の「風の又三郎」のお芝居をしたのではないだろうか。それで、その本物と思い、観に来たのではないだろか。実は「風の又三郎」違いだったのではないだろうか。それとも、彼らこそが風の又三郎だったのかも、と。どっどど どどうど どどうど どどう。

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